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1歳のとき、聴力を失う
7歳
第52回ミス?ユニバース特別
イメージ大使

私の娘 

姜馨田の母  趙琳 

1984年、夏のある日の明け方、私の娘、姜馨田は生まれた。娘の誕生は、私たちの円満な家庭の誕生でもあった。私たちは皆、何事にも例えようのない幸せにひたっていた。しかし、三ヵ月後、ある抗生物質の注射が彼女の聴力を奪った。

その瞬間、幸せに満ち溢れていた家庭が、失意のどん底に沈んだ。

私は娘を抱いていくつもの大病院を回ったが、何らよい結果を得ることができなかった。この残酷な現実のなかで、私は理性を失い、娘を抱いたまま大海へ向かった…波が寝ている娘を起こし、娘の泣き声が私を正気にさせた。

「私には娘を産んだ責任があり、いわんや娘の命を奪う権利などはない」
私は誓った。「どんなにつらく、苦しくても、娘にすばらしい人生を送らせるのだ」

私は娘に発音訓練をした。娘の手を私の喉の下にあて、娘に声帯の振動を感じさせた。まずは簡単な発音から、一回、また一回、訓練を続けた。母親の愛情が天を動かした。娘が3歳のとき、初めて「ママ」と言った。たとえ、音が多少濁っていても、私にとっては世界で一番感動する音だった。私は興奮のあまり、カセットテープを用意し、娘の声を録音した。私はその夜、眠れず、何度も繰り返し聞き、何度聞いても聞きあきなかった。

たしか9歳のとき、娘は何人かの男の子にからかわれ、家に帰ってきたとたん、手で自分の耳を何度もたたきだした。私は娘を抱き、一枚の破れた紙を手に取り、切って雪花を作った。娘が私の作った雪花を見たとき、目に涙を浮かべながら、嬉しそうに跳びはね、「ママ、雪花、とてもきれいね」と言った。私は娘に「あなたはいま、この破れた紙のようだけど、しかし、美しい雪花となり、ある日、きっとあなたを好きになる人が現れるのよ」と言った。娘が12歳のとき、私は娘にヘレン?ケラーの自伝を送った。娘はこの本をとても好きになり、日記の中で彼女は「私もヘレン?ケラーのように人生に立ち向かう」と綴っていた。

2003年3月、第52回ミス?ユニバース中国コンテストで、娘は「中国トップ10」「マスコミ賞」と「特別栄誉賞」を獲得した。ミス?ユニバース本部の代表は娘をこう称賛した。「自信、美しさ、明るさ、健康をもって栄誉を勝ち取った。ミス?ユ
ニバース52年の歴史上いままでかつてなかったことである」ミス?ユニバース本部は娘に「第52回ミス?ユニバース特別イメージ大使」の称号を与えた。

2004年、姜馨田は中国障害者芸術団に入った。手話司会者となり、北京連合大学へ入学した。私が娘をとても誇りに思ったのは、2004年アテネパラリンピック閉会式で、娘が中国を代表して手話を用いて全世界に向けて「ありがとうアテネ、北京で再び」とメッセージを送ったことである。彼女はまた2003年度の「『中国女性』時代人物」と2005年「中国大学生年度人物」を獲得した。

私は障害をもった娘の成功をとても誇りに思う。

 

 

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