主演団員
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すべての人の人生は、さまざまである。あなたには選ぶことはできない。しかし、あなたは人生を違う角度から見ることはできる。人生のすばらしさに多く目をむけ、そして喜びと感謝の心で、人生の逆境と向き合おう。 
 ――邰麗華  
                    2003年3月18日 トルコにて 
 

白いトウシューズ―私の告白邰麗華

1976年、私は湖北省宜昌市で生まれた。子どものころ、私の母を呼ぶ声はとても可愛いらしく、歌声はとても美しかった。2歳のとき、高熱を出し注射の後遺症で聴力を失った。そのときは自分が音のない世界にいることを、何も分かっていなかった。5歳になったとき、幼稚園の友達と、目隠しして声遊びをしたときに、ふと自分がほかの子とは違うことに気がついた。私の心はとても傷つき、泣き崩れた。

7歳のとき、聾学校に入学した。リズムの授業の先生は床に置いた太鼓を踏み、その振動を私たちに伝えた。ドン、ドン、ドン、一定のリズムが振動となり、両足を通して私の体全体に伝わってくる。その瞬間、私は震え上がった。今まで一度も味わったことのないような幸福が私の心を打った。私は床に這いつくばって、全身を使って美しい音色を味わった。とても感動した。 その時から、舞踏――この音楽と切り離すことのできない芸術の虜になった。私は光り輝いた音楽を見ることができ、心の世界の美しい言葉を見つけることができた。 私は、白いトウシューズが欲しくてしかたなかった。しかし、私の病気を治すため母は仕事を辞め、家族4人が、父の50元余りの給料で生活しなければいけなかった。……まじめでやさしい父は、私のこの思いに気づいて、誕生日に一足の白いトウシューズを買ってくれた。私はその真っ白なトウシューズを手に持ち、トウシューズが汚れるのが嫌で、ベッドの上で靴を履いて何回も飛び跳ねた。幸せの涙が、心のなかでとめどなく流れた……。 

毎日、どんなに勉強が忙しくても、時間をさいて踊りの練習をした。練習はとても厳しかった。いつも私の体のどこかに青あざがあった。母親が見つけたら悲しむと思い、夏でも長ズボンを履いていた。それでも、ある日、母親は体中にあるあざを見つけ、私を強く抱きしめて泣いた……。 

高校卒業後、湖北美術学院に進学し装飾デザインを学んだ。先生の声を聞くことができないため、いつも一番前に座り、先生の口の動きを目で追い、黒板を見て、授業が終わったらクラスメイトにノートを借りて写した。四年という大学生活はあっという間に過ぎ去り、優秀な成績で卒業し、同時に文学学士の学位を取得した。私のデザインした作品は湖北省で賞を獲得した。 

私は常に舞踏と共に成長をてきた。15歳のときから中国障害者芸術団の団員になり、学業に励みながら、芸術団と一緒に公演にも参加してきた。     
  
3歳
4歳のとき、踊りを好きになる
 

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